エピソード

 

お腹の中ではぐくんできたかわいい我が子との突然のお別れ

その時、母親達はどう感じていたのか

どういったお見送りをしてあげたのか

全国からちくちくの会へ寄せられた体験談より抜粋してご紹介します

 

 

 

 

 

 

 ttさん(広島県)のお話し


【 お誕生日 】 2009年3月7日
【 妊娠週数 】 16週4日
【  身長・体重 】   17cm100g

【  原因  】 子宮頚管無力症の疑い

死産となり、分娩が終わった翌日、不安な面持ちで診察を待っていると、担当ではない医師が「昨日はよくがんばったんだってね」と声をかけてくれ、泣いてしまいました。

忙しい医師なのに、少しの間わたしが落ち着くのを待ってくれて、肩をポン、とたたいてくれました。

言葉は少なかったですが、わたしの不安とか悲しみをわかってくれた気がしてうれしかったです。

病院からはあかちゃんの思い出の品として、普通に生まれた子とおなじように、へその緒や赤ちゃんの足とわたしの腕につける名札(ネームバンド)、赤ちゃんのベッドにつける紙(体重や身長を書いてある)等を用意してくれました


 看護師さんから「赤ちゃんの服を着せて、周りをお花でかざってあげてみてはいかがですか」とも、提案がありました。

病院で用意していただいた小さな洋服と帽子もかぶせてもらい、看護師さんの提案で、うちの母が服と帽子にレースを縫いつけてくれました

わたしたちの赤ちゃんは夫が探してくれた棺側代わりの箱に入れてもらい、お別れするまでのしばらくの間は、病室で一緒に居られました。

 

その後、同じ病院で第2子を出産しました。

今回、娘を産んでみてわかったことは、この病院では死産の子でも、普通に生まれた子でもわけ隔てなく、同じ対応をしてくれていたこということです。

服も帽子も、悲しみでいっぱいだったあの時の自分たちでは気がつかなかったことです。

看護師さんのが提案してくれたから、洋服も着せてあげられました。

病院の対応には本当に感謝でいっぱいです。

 

 

高橋幹子さん(兵庫県)のお話し

真央ちゃん

【 お誕生日 】2010年9月8日
【 妊娠週数 】36週6日

【  身長・体重 】  身長・48.2cm 体重・2666g
【  原因  】臍帯卵膜付着による子宮内胎児死亡

 

 

おくるみに包まれて、女の子ですよと真央ちゃんが連れられてきた。

おくるみに包まれた真央ちゃんを抱っこした。

温かくて、ちっちゃくて、かわいくてかわいくて、この子がずっとお腹の中にいたんだ~。と感動と幸せな気持ちでいっぱいなひとときだった。

  この時は私は悲しさなんて全くなくて、あかちゃんの顔が見れて嬉しくて幸せですごくぽかぽかした気持ちだった。

やっと会えたね~、女の子だったんだね~、かわいいね~、ってほんとに幸せな気持ちでいっぱいで、普通の出産したお母さんたちと変わらなかったと思う。

 

病院からは『絆』と書いてある桐の箱に髪の毛を少し切って入れて渡してもらえました。
「真央ちゃんの顔見たよ、女の子の顔してるね」とたくさんの看護婦さんが声をかけてくれた。
私は一人でも多くの人に、真央を見てもらいたかったし、真央という存在を認めてもらえるようで嬉しかったです。

 

長野麻貴さん(大阪府)のお話し

 

【 お誕生日 】2008年10月16日

【 妊娠週数 】19週3日

【 身長・体重 】   身長24,5cm 体重310g

【 原因 】  子宮頚管無力症の疑い

 

夜中に出産し、その翌朝

私達夫婦は普段はカンファレンスルームに使っているであろう個室で、小さな段ボールの箱に入って白いガーゼをかぶせてもらった赤ちゃんと対面しました。

私達は緊張して赤ちゃんに触れる事も出来ず、頭が真っ白になってしまって言葉もなく黙って涙をボロボロこぼしたけれど、その時に助産師さんが「きれいなお顔ですね」と言ってくれた。

そう言ってもらった瞬間、「ほんとや。口元なんか旦那にそっくりやん」と急に意識がしっかりして愛おしさがこみ上げてきたこと。

あれから2年たった今でもあの瞬間のことは昨日のことのように思い出すことが出来ます。娘をほめてもらったあの言葉は今でも宝物です。

 

310gと小さかった娘には着せてあげられるベビー服もなく、唯一産前に用意していたよだれかけをかけようと思っていたけれどあまりにも大きすぎて畳んで棺に入れてあげることしか出来ませんでした。

病院で用意してもらった白いガーゼでくるんでもらい周りをお花でいっぱいに飾ってあげて火葬をしました。

退院して自宅に帰ってからインターネットに助けを求めるように毎日たくさん検索をしました。

そこで、お洋服を手作りして着せてあげることも出来たのだと知りました。

家族写真や手形、足形を残しているお母さんがいることも。

「ああ、こういう選択肢や方法もあったのだ」と後から気づいても、悔やんでも、もうどうしようもありませんでした。

私も、あの子に何かしてあげたかった。もっと早く知りたかった。

その思いがこのちくちくの会の原動力になっています。

 

 

 

中川美由紀さん(千葉県)のお話

 

【 お誕生日 】2008年11月10日
【 妊娠週数 】37週2日

【 身長・体重 】47.8cm 2635g
【 原因 】常位胎盤早期剥離

 

  臨月に入った夜の事でした、お腹の痛みを感じ陣痛かも知れない
少し早い出産になるのかもと嬉しい緊張を持ちながら入院仕度をし夜間外来を訪れた私に医師から告げれたのは死産という、全く想像もしていなかった辛く寂しい宣告でした。
手術から目が覚めた時、主人から術中に我が子と対面した事を聞きました。
主人は、当時生まれて間もない我が子の写真を撮ろうとした様です。
ですが、病院のあるスタッフの方から
「こういう写真を撮るかたはいませんよ」と言われたそうです。

この言葉を聞いた時、私はショックととても辛い気持ちになりました。
亡くなったという事実すらまだ受け止められなかったのですが、でも、もうあなた達の子供は生きていないのですよと突きつけられた気持ちでいっぱいになりました。
我が子に対面したのは死産後の翌日のことでした。
時間が許される限り一緒にいたかったですが、何に遠慮していたのか私はそれすらもいけない事の様な気がしていました。
今でも、我が子の姿をもっと目に焼き付けておけばよかったと思っています。
ただ、この時我が子を連れてきてくれた看護師長さんにせめて写真を撮っても良いか尋ね2枚だけ撮らせて頂きました。
それが今では私の宝物となっています。

もし後悔があるとしたら、あの時の私の精神状態では考える力が乏しく我が子の旅立ちの時に何も持たせてあげられなかった事です。
臨月に入り、出産準備は全て終わっていたので産着もセレモニードレスも全て用意してありましたが我が子には何一つ渡せませんでした。

死産してから心の回復にはとても時間がかかりました。
後悔し自分を責めた毎日です。
その中で、インターネットを通じ同じ様に死産を経験された方達の日記を読んで、当たり前なのかも知れませんが病院ごとに赤ちゃんのご家族、天国に旅立った赤ちゃんに対する接し方が違う事に気づきました。
中には心遣いがとても温かいものもありました。

死産経験者として私が今感じることですが
天国に旅立つ我が子との時間はとても短く限られたものです。
その短い時間の中で、何かわが子にしてあげたい。
その気持ちに中々自分自身が追いつけないということです。
そして、それが後々母親自身の後悔として残ることです。
もしそんな中で、ちくちくの会の様な小さなお洋服の話や何か赤ちゃんのご家族の気持ちに沿う様な心のケアが1つでもあったなら、それはどんなに素晴らしい事かと思います。

 

 

留美さん (兵庫県)のお話

健太郎くん

【 お誕生日 】2008年4月1日
【 妊娠週数 】17週5日

【 身長・体重 】16cm 130g
【 原因 】臍帯ヘルニア

 

息子に重度の病気があり予後不良のため、医師からは、「この病気がわかって産む人はいない。諦めるなら母体への負担を少しでも減らすために早く決断するように」と急かされました。

私は決断を下すまでしか考えが追い付かず死産翌日の火葬には心が取り残されたような状態でした。

残された時間はほとんどなく、私たち夫婦が息子にしてあげられたことは、ペアの小さなクマのぬいぐるみを私たちの代わりに、寂しくないようにと手紙と共に持たせることしかできませんでした。

全てが終わった後で、ネットで同じ経験をされた方の体験を読んで、他にもしてあげられることがあったことを知り、悔やまれます。

それでも、死産した病院で、息子を安置した紙箱の中に哺乳瓶の吸い口と薬包紙に包んだ粉ミルクを「お母さんのおっぱいの代わりに」と言って入れて貰ったことを心から感謝しています。

 

それから2年後の2010年6月27日。

待望の第二子ほたるを8週で流産してしまいました。

息子を人工死産している私は、お腹の子供を手術で出す事に抵抗があり

自然に出てくるのを待つことにしました。ほたるは私の願いを聞き入れてくれたのか主人のいる時に家で産まれてきてくれました。

健太郎と違って、姿を認めることはできませんでしたが汚れを洗い流して

綺麗にしてあげ、主人の実家のお墓の敷地内に小指ほどの小さなお地蔵様と一緒に埋葬してあげました。

息子のことがなかったらこんな風に大切に供養してあげられなかったと 思います。

健太郎は、私たち夫婦に大切なことを教えてくれたんだと思いました。

 

 

 

笹本絵里さん(長野県)のお話し

 

【 お誕生日 】 2008年12月31日

【 妊娠週数 】 34週2日
【 身長・体重 】身長32.6cm 体重3654g
【 原因 】   胎児水腫

 

待望の第2子。お腹に宿ってくれたものの、初期の頃に病気が見つかり

医師からは「流産するかもしれない」と散々言われてきた子でした。

その後、母子ともに頑張って、なんとか生きて産まれてきましたが、その後半日でお空に還ってしまいました。

切迫早産のため入院をし、まさかそのまま出産を迎えるとは思ってもいませんでしたし、予定していた出産よりも少し早かったため、肌着などまったく準備をしていませんでした。

悲しみのお産を迎えた私に、長野県立こども病院の助産師さん達はしっかりと寄り添ってくださいました。

「亡くなった赤ちゃんのために、可愛い肌着を作ってくださっているボランティアの方達がいてね、もしよかったら持ってきましょうか?」と。

 

病院が亡くなった赤ちゃんのために何か前もって準備すべきではないと思われますか?

亡くなっていようが、私の愛する子どもです。その子をちゃんと助産師さんが認めてくれた事は、私たち夫婦にはとてもありがたい事でした。

亡くなった赤ちゃんとの時間は本当に限られています。

火葬までに親としてやってあげられることはないか必死に考えますが、深い悲しみの中にいますし、ましてや産後の朦朧とした思考では限界があります。

そんなときに、私がしていただいたように、病院や助産師さんたちが、ちくちくの会のような活動をそっと紹介してあげたり、天使になった赤ちゃんのご家族に寄り添うケアをしていただけたらと願わずにはいられません。

私は、娘に可愛い肌着をいただけたことは、本当に感謝しています。